長谷川隆鳳 略歴
- 1959年 岡山県玉野市に生まれる
- 1960年 生後10ヶ月風邪の治療での注射ストレプトマイシン副作用で後天性疾病・両側感性難聴になる
- 1979年 京都仏像彫刻研究所(現松久宗琳仏所)に外弟子としての入門
- 1981年 宗教美術展に観音立像を初出品玉野市自宅南の工房建築資金援助を市から受けるため、 大佛師 故 松久朋琳先生より推薦書を頂く
- 1982年 宗教美術展に十一面観音立像出品
- 1983年 宗教美術展に達磨大師立像を出品
- 1985年 圓峻と名乗る
- 1987年 馬頭観音坐像(総高90cm)を香川県円通寺に納める
- 1988年 宗教美術展に愛染明王坐像を出品
- 1989年 現在の赤磐市に自宅と工房を構える。弘法大師坐像(総高120cm)を和歌山県恵日庵に納める
- 1990年 不動明王坐像(総高180cm)を同庵に納める
- 1991年 千手観音立像(総高180cm)を同庵に納める不動明王坐像(総高150cm)と赤童子(総高120cm)を2体修復、岡山県倉敷市児島由加山蓮台寺に納める
- 1992年 奈良県生駒山宝山寺所蔵不動明王坐像を摸刻した同坐像(総高210cm)をフランスブルゴーニュ地方北部の光明院に納める
- 1993年 千手観音立像(総高180cm)を神戸市内個人宅に納める三面大黒天像(総高150cm)・十大王の内、 閻魔大王・一番大王坐像(各頭上迄73cm) 釈迦如来坐像(総高160cm)を修復、四国八十八カ所七十番香川県本山寺に納める
- 1994年 愛染明王坐像(総高140cm)を神戸市理性院に納める三面大黒天立像(総高90cm)を岡山県日比観音院に納める金剛力士像(総高300cm)2体修復、四国八十八カ所七十六番香川県金倉寺に納める
- 1995年 隆鳳と名乗る 旧工房の南に屋内2t移動クレーン付きの工房を建てる
- 1996年 八重垣神社稲田姫立像(総高45cm)を島根県個人宅に納める八臂弁財天坐像(総高60cm)を 和歌山県個人宅に納める 国宝薬師如来坐像の台座(巾150cm高80cm)を修復、岡山県朝日寺に納める 不動明王立像(総高200cm)を修復、四国八十八カ所六十六番徳島県雲辺寺納める十二神像(総高60cm)12体を修復、岡山県医光院に納める
- 1997年 不動明王坐像を除く、五大明王(総高100cm)を修復、四国八十八カ所六十六番徳島県雲辺寺に納める役行者(総高100cm)を修復、四国八十八カ所七十六番香川県金倉寺に納める
- 1998年 奈良県生駒山宝山寺所蔵十一面観音坐像を摸刻した同坐像(総高160cm)を神戸市の宗教法人に納める十一面観音立像(総高78cm)を秘佛として岡山県由加山蓮台寺に納める 十一面観音立像(総高65cm)を御前佛として四国八十八カ所七十六番香川県金倉寺に納める薬師如来坐像(総高106cm)を御前佛として因島薬師寺に納める
- 1999年 弘法大師坐像(総高47cm)を秘佛として岡山県由加山蓮台寺に納める弘法大師坐像(総高73cm)を修復、四国八十八カ所六十六番徳島県雲辺寺に納める
- 2000年 十一面観音立像(総高85cm)を秘佛として柵原町観音寺に納める日光・月光菩薩立像(総高85cm)を脇佛として岡山市上道の医光院に納める 行基菩薩坐像(総高37cm)を岡山県内の某寺に納める
- 2001年 鳥取県内大樹寺十六羅漢立坐像(立像の頭上迄60cm)を修復する
- 2002年 作東町地区蔵大日如来坐像(頭上迄59cm)を修復する阿弥陀三尊像(阿弥陀如来座像 総高84)を鏡野町寶性寺に納める
- 2003年 邑久町恵亮院毘沙門天立像(頭上迄180cm)を修復する
- 2004年 不動明王半跏像(額口迄56cm)、二童子を鏡野町寶性寺に納める
- 2010年 佛像を彫って31年目 460体目の新佛像を製作中 他に小型新佛像多数・古佛像修復多数有り
ACCESS
隆鳳乃佛彫院